知られざるキクの魅力(前編)

マーケティング

私たち日本人にとって最も身近な花といえば、ひとつにキクが挙げられるのではないでしょうか。
とくに仏花というイメージが定着しているように思いますが、現在は種苗会社、生産者の試行錯誤、そして消費者のニーズによってさまざまなキクが出回っています。
今回はそんなキクについて、前後編に分けて紹介します。

祭壇を飾る花として定着したのは、ここ30~40年ほど

1967年、戦後初となった吉田茂元首相の国葬に際し、立派な祭壇を飾ったのは白と黄色の輪ギクでした。現在においても国が行う慰霊式典や追悼式ではキクが多く使われますし、日ごろ私たちが使う仏花といわれるお供え用の花にキクが入っていないことはほぼありません。多様化が進んだ一般葬儀においても、少なくなったとはいえ、キクが主要花材として多用されることに違いありません。このようなことからキクの花に仏様のイメージを持つ人も少なくないでしょう。

しかし、白や黄色の輪ギクが一般の葬儀の花祭壇で使われるようになったのは、ここ30〜40年ほどのこと。例えば、1972年『おふくろさん』でレコード大賞を受賞した森進一さんがステージで持っていた花は、“おふくろさん”だけに赤いカーネーションとキクの花束でした。1974年『喝采』でレコード大賞を受賞したちあきなおみさんは、黄色いキクとテッポウユリの花束を持っていらっしゃいますし、同年『あの鐘を鳴らすのはあなた』で最優秀歌唱賞を受賞された和田アキ子さんは、草丈の長い白ギクの花束を持っていらっしゃいました。

黎明期にマストな花として、キクが活躍

今なら白や黄色の輪ギクをお祝いの花束に入っていると、驚かれる方もいらっしゃるとは思いますが、輸入花きもほとんどなく、国内の切り花総生産額の45%をキクが占めていた当時、現在ほどには施設栽培も盛んではなく、しかも12月31日という年末の寒いときの花材といえば、かなり選択肢が限られていたと想像できます。となれば、ステージ上でも映える大きくて立派な花束を作るのに、輪ギクの存在は欠かせないものだったのではないでしょうか。さらには、今ほど物流連携も活発化していなかったでしょうし、黎明期であったであろう日持ち技術を鑑みたとしても、いまほど多くの切り花を遠方から輸送していたとは考えにくく、あらゆる限られた条件の中で、大舞台に叶う品質の花を選ぶとすれば、種類を問わずキクの存在はマストだったに違いありません。

とりわけ和田アキ子さんのようにすらりと背が高く、白いジャケットを着こなす新人歌手に見合う花といえば、白い輪ギクという選択は妥当だったのではないでしょうか。キクの縦ラインが描く凛とした花束が、当時のステージによく映えていたように思います。

実際のところ、このころ白や黄色の輪ギクはお祝いの花として多用されました。もしご興味がありましたら、1983年に公開された映画『Wの悲劇』をご覧になってみてください。三田佳子さん演じる大女優の楽屋いっぱいに届けられているお祝いのスタンド花は、ピンク色のリボンがつけられているものの、開花した白ギクできれいにドーム状に象られたデザインです。ピンク色のリボンさえなければ、今なら葬儀会場にあってもおかしくないようなもので、当時の白ギクに対する意識を垣間見ることができます。

『Wの悲劇』角川映画 THE BEST

今でこそ、さすがに白ギクや黄ギクをお祝い用として使うことは稀かもしれませんが、わたしたち花き業界に身を置く者からすれば、慰めの花に限らず、キクほど便利な花はありません。日持ちもよく、水落ちしてもなお驚異的な回復力があり、ある程度とはいえ保存も利いて、品質も安定して、圧倒的な数量を確保でき、且つ汎用性の高い優等生花材です。政府の行事でキクが多用されるのも、そもそもはキクが優等生だからということもあるでしょう。

明治後期から商業生産が開始されたキク、
今や花き流通トップの品種数に

日本では明治後期にキクの商業生産が始まり、大正中期には米国で温室生産を学んだ犬塚卓一氏が温室栽培を開始、大正末期には米国より切り花品種が逆輸入され、キクの切り花生産は大きく発展しました。1935(昭和10)年ころには国内でも切り花用のキクの育種が始まるとともに、キクの光周性を利用した周年栽培が行われていました。育種と生産は徐々に発展していきますが、電照ギクの共販体制が愛知県や福岡県で発足するのは1960年代を待つことになります。60年代を過ぎて共販体制が整い、一年中いつでも安定した品質と数量で輪ギクをマーケットに提供できるようになっていったことで、あらゆるシーンでキクが重宝され、まさに国内生産でエースのポジションを占めていくようになります。

重要なポジションにあるだけに、行政としても栽培研究は品種改良に力を入れ、また海外からも輪ギクに限らず新品種が取り入れられました。改良と導入を重ね、現在流通するキクの品種数は、キク類すべて含め一年間に2,000種ほど。次に品種数が多いのはバラの約1,000品種ですから、いかに花き流通の中で圧倒的な品種数かがわかります。(リンクはこちら)https://www.otalab.co.jp/trend

キク類の年間数量約16億本。
日本国民一人当たり約13本を消費することに

圧倒的なのはその品種数だけではありません。流通本数も他の品目をはるかに凌駕します。国産切り花のキクの数量は年間約12億本(農林水産省2023年、ちなみに国産バラは約1.8億本)で、切り花全体の約4割を占めます。

【グラフ1 国産切り花 出荷割合】データ元:農林水産省 令和5年度

さらには前回バラの回で言及したように、キクは輸入も多く、ここ10年で数量にして10%ほど伸びています。キク類の輸入が約3.5億本(2023年、貿易統計)、国産と輸入を合計するとキク類は年間約15.6億本から16億本ほど流通していることになります。

【グラフ2 輸入キクの数量推移】データ元:農林水産省

年間で国産約12億本、輸入と合計16億本といってもどのくらいなのかピンとこないかもしれませんね。日本の人口が2023年で約1.2億人ですから、国産だけで国民一人あたり年間10本ずつ、輸入と合わせれば一人あたり13本消費するイメージです。これほどキクを消費する国民は日本をおいてほかにないかもしれません。

いわば日本人にとってキクは主食のお米のようなものかもしれませんね。気づけば「菊」という字の中心には米という字があります。偶然とは思いますが、菊という漢字の成り立ちは、穀物の穂を意味する米を手で包み込んだ様子の象形文字に草冠がついたもののようです。米を両手で救うときの指の並びが、きれいに咲き揃うキクの花びらのようだということかもしれません。

キクの消費は日本の伝統行事と密接に関係する

ではなぜ、それほどまでにキクの流通量が多いのでしょうか。一つは、日本人の切り花の消費のタイミングと密接に関わりがあります。一世帯当たりの切り花支出金額は、多い月から12月、8月、3月、9月(2023年・二人以上世帯、総務省)。

【グラフ3 一世帯あたりの月別切り花支出金額 単位:円】データ元:総務省

お盆お彼岸ばかりでなく、日常におけるホームユースの花き消費が増えた昨今、キクにおいても仏花ばかりでなく、洋風な雰囲気を持つキクも多く流通するようになりました。その陰には、種苗会社各社における新品種に向けた品種改良のほかに、積年にわたり生産者様や出荷者様が取り組まれてきたマーケティングや新しい商品提案があります。

後編ではその一部をご紹介いたします。(後編に続く)

【参考文献】
『キク大事典』 農文協
柴田道夫、『花の品種改良の日本史』 悠書館 『日本花き園芸産業史・20世紀』花卉園芸新聞社
(文責:株式会社 大田花き花の生活研究所 内藤 育子)

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