花とネイル-乗算して生み出す幸せの世界

インタビュー

フラワーデザイナーとして、ネイリストとして活躍する吉田もなみさん。絵画の世界を目指してアメリカへ渡り、友人の爪をキャンバスにしたことでネイリストへと開眼。そして、生まれ育った京都でフラワーデザインとの運命的な出会いに……。絵画、ネイル、フラワーデザインと、すべてを吸収して今がある。そのひたむきとも、貪欲ともいえる探求心はやがてブライダルで1つになり、自身のブランドを立ち上げるまでに至ります。師、友人、家族、そして吉田さんに依頼してくれる方々、どんな人にも真摯に向き合う姿勢、学びを糧にかえるパワー。吉田もなみさんの軌跡について伺いました。

アートに惹かれて

母が生け花やフラワーアレンジメントをしていたので、生まれ育った家の中にはいつも花が活けられていていました。部屋中にバラの甘い香りがしていたり、部屋の隅にピンクのカーネーションの花びらが落ちていたり。玄関やテーブル、窓辺など様々に飾られ、花は当たり前で身近な存在でした。 ただし、私自身、当時はあまり花への関心が強くなく、油絵を描くことが好きで画家をめざし、大学はアメリカへ。アートや色彩学などの課題を徹夜でこなし、語学や一般科目の勉強もし、とかなりハードな毎日でした。課題に疲れていたある時、気分転換にルームメイトの爪にアクリル絵の具でカラフルな花のアートを描かせてもらったんです。とても喜んでくれて、周囲の友人やSNS投稿で自慢してくれて……。画家になるという大きな夢はありましたが、人を笑顔にできるのなら身近なアートも素敵だと思ったのが、ネイルと出会ったきっかけです。

ネイリストとして

それから、大学に行きながら美容学校にも同時に通い始めました。キャンパスが小さいだけで絵を描くことは一緒だと思うようになり、ネイル自体も楽しくて。最終的に国家試験を受け、ライセンスを取得しました。その後、紹介を受けてハリウッドの大手の会社にネイリストとして所属。様々な肌の色や好みに合わせて作品をつくっていたところ、私のアートが評判になり、美容学校の恩師から生徒たちにレッスンをしてほしいと頼まれたこともあります。

帰国したのは、日本でファッション系のネイルが流行っていることを知ったからですね。アメリカではネイルケアが爪を綺麗に保つ身だしなみの一部という側面があり、アーティスティックな側面に特化している日本のネイルに興味を持ったのです。

運命的な花との出会い

帰国して数日後に、私の地元である京都でフラワーデザインの作品展があり、母に誘われて見に行きました。重要文化財の長楽館が会場ということもあり、気楽な感じで出かけたのですが、目に入った瞬間圧倒されたのを今でもありありと思い出します。活けてあることで、より美しい表情を見せる花々。器も形もそれぞれ趣があり、計算されたオーラみたいなものを強く感じて、これはぜひ学びたいなと。そして、主宰しておられた木下恵子NFD名誉本部講師のデモンストレーションが、また圧巻! 様々な色や大きさの違うバラをアンティークな花瓶にアレンジされたのですが、一手一手に無駄な動きがないのに驚かされました。余談ですが、限られた狭いスペースで施すネイルも、効率の良い動きが必須です。ネイルに通ずる、先生の最適な花材を選ぶ見事な即興性に魅了され、その場で弟子入りをお願いしました。

ネイルと花は似ている

すでに東京・六本木ヒルズのネイルサロンに就職が決まっていたので、毎月曜日に新幹線で京都までレッスンに通う日々が始まりました。とにかく楽しみで、教わったことを全部ノートに細かく書いて、絶対忘れまいと新幹線の中で読み返したりしていました。夢中になれた一番の理由は、逆説的ですが、最初に自分にはできないと思ったから。先生が1本スッと挿れただけで花が本当に表情を持ち、そこで咲いているみたいに生きるんです。私がどれだけ同じような構図で同じようにやってもできなくて……。ただできるまでやろう、憧れの方に追いつこう、という気持ちはありました。

当時は趣味として打ち込んでいましたが、そのうちにネイルと花は、共通する部分が多くあることに気づいたのです。フラワーデザインではテーマを決め、花材があり、イメージをふくらませて作品づくりに入るわけですが、ネイルも同じです。お客様がきて、ラブリー系が好きとか、結婚式だからゴージャスな感じなどのテーマが出てきます。そして、その場で瞬時にデザインします。花も人も生きているものだからこそ、花材や手の状態を見てアレンジを決めるところなども、とてもよく似ていると感じました。

フラワーデザイナーとしても

フラワーデザイナーとしての最初の実績は、日本フラワーデザイン大賞2009「ジュエリーボックス」部門2位入賞。光栄でしたが、他部門の受賞者の作品を初めて拝見する機会でもあり、そのレベルの高さに気後れしたのをはっきりと覚えています。もっとしっかり技術を身につけなければ、と思い知らされました。

『恋文』
日本フラワーデザイン大賞2009
ジュエリーボックス部門2 位
『spring breeze』 日本フラワーデザイン大賞2019 J FA賞/フローラル・アクセサリー 部門2 位

2011年の第10回世界大会(ボストン)*1へは、母と二人一組で参加しました。世界の方々の作品を肌で感じてみたいと思ったのです。等身大のトルソーに装飾を施す大がかりなもので、着物風の土台に花を挿していったのですが、制限時間ぎりぎりで袂の部分ができていないことに気づいて大慌て(笑)。苦い思い出ですが、ガラパーティーは本当に楽しかったですね。特に仲良くなった韓国の若い女性の方や、花のレッスンは教会装飾のボランティアのためというイギリスの方など、いろいろな国の方々と交流でき、様々な花との関わり方に感銘を受けました。今でも情報交換したりしているんですよ。WAFAは私にとって、とても良い経験になってくれています。 良い経験という意味では、NFDの検定試験もそうですね。花の特性やデザインのテーマ性が曖昧な時はとても難しかったですが、丁寧に指導していただいたことで私の基盤になっています。作品づくりに迷った時などは、教わったことを意識して考えるようにしています。

今でも交流が続いている海外のフラワーデザイナーとの出会い
*1 WAFA(World Association of Floral Artists : 世界フローラルアーティスト協会)は、1981年に設立されたフラワーデザイン愛好家の世界最大の組織です。現在の加盟数は28カ国、全会員数は既に15万人を超えています。 

オリジナルブランドで幸せのお手伝い

ブライダルに関わるようになったのは、結婚し夫の仕事の都合で京都に転居してからです。ウェスティン都ホテル内の「ビューティサロンピュア(pure)」に、ネイリストとして就職。ホテル内ということでブライダルがとても多く、花嫁がリハーサルのためにお見えになるのですが、その時に花冠があるほうがイメージがよくわかるので、私がつくりましょうと提案したんです。それが評判になって本番用も作成するようになり、どんどんオーダーが増えて……。そして、店と共同で立ち上げたのが、私のオリジナルブランド「ピュアズ コレクション」です。

ホテルのフォトスタジオオープン時に、フラワーアーチを制作

こだわりは、記念に残すために最高級の造花しか使わず、その花嫁のための世界に一つだけのデザインであること。現在はヘッドドレスをはじめ、ブーケやブートニア、髪飾り、イヤリングなど、トータルコーディネイトを提供しています。もちろんネイルも(笑)。人生でいちばん幸せな時に関われるので、やりがいはとても大きいです。式の最後には笑顔で撮った写真を皆さんからいただけます。本当に綺麗で、デザイナー冥利に尽きます。

プロとして、母として

6年前に、夫の仕事の都合で名古屋に転居しました。大手の美容室でネイルやブライダルのオーダーブーケやヘッドドレスなどを予約制で手がけています。今は子育てを優先していてフルタイムでの仕事は難しく、マイペースでやらざるを得ません。ですが、出張は多いですね。ブランドの納品で京都に行くこともありますし、最近は東京で式を挙げる方のために子どもを連れてで出かけました(笑)。

つい最近では、母として、フラワーデザインをしました。長男が所属している陸上クラブで卒業生を送る謝恩会があり、そこで記念のコサージュづくりを担当。2日間かけ、それぞれ意匠の違うものを30個ほど制作しました。長女の七五三の髪飾りなど、子育てをしているとフラワーデザインの技術が生きるタイミングは結構ありますね。

息子さんが所属している陸上クラブで卒業生を送る謝恩会のための記念のコサージュ

作品の幅を広げて

最近はオリジナルのピアスやイヤーカフなどのアクセサリーづくりも始めています。私にとってこのことはフラワーデザイナーとネイリストが融合している作業。花のモチーフはコサージの延長線になりますし、レジンパーツなどを組み合わせる時はネイリストの技術を使います。そのうち「ピュアズ コレクション」で耳元までもトータルでコーディネイトできれば嬉しいのですが。

今後はもっと作品の幅を広げていきたいですし、異業種とのコラボレーションも私の中でテーマになっています。先日は働いている美容室の社長が主催する名古屋能楽堂でのヘアショーで、モデルの髪の上にウンリュウヤナギで冠のようなものつくったのですが、それがとても評判が良かったです。つるは山に取りに行ったりし、4回くらい作り直しましたが、苦労した甲斐がありました。こういったヘアショーなどのコラボも面白いですし、本当に洋服のファッションショーに花が入ってきてもいいと思います。

ネイリスト×フラワーデザイナーであり続けたい

お客様の希望をお聞きする際に、私が受け止めたイメージで合っているのかを確認するためにデッサン画を描いて見ていただきます。日本フラワーデザイン大賞一次審査の応募時のようなものですね。私の場合は、その場で手描きで修正できるのが強み。また、ジェルを混ぜてその場でオリジナルのカラーをつくったりするので、若い時に学んだ色彩学などが役立っています。

これまで経験してきた絵画の勉強とネイルとフラワーデザイン、どれか1つが抜けてても今の私を形づくってはいないでしょう。私にとってネイルとフラワーデザインは半分半分ではなく、どちらも全力。その2つをトータルで叶えている現在の状況は、本当に幸せです。この先もネイリスト×フラワーデザイナーであり続けたいと思います。

Profile

吉田 もなみ  YOSHIDA Monami

ネイリスト・NFD1級フラワーデザイナー
京都で生まれ育ち、幼いころから絵が好きで、アートに興味関心をいだき、高校卒業後にロサンゼルスに留学。色彩学を学びながら美容学を学ぶ。ネイルに興味を持ち、カリフォルニア州のネイリスト免許を取得。 帰国後はフラワーデザインの世界へ。現在は愛知県の美容室でネイリストとして働きながら、京都にあるホテルでオリジナルブランドを立ち上げ、ブライダルブーケやヘッドドレスを手がけ、ウェディング業界でも活躍中。

どこまでもふんわりとした雰囲気と、やわらかな佇まい。とても二児の母には見えない吉田もなみさんは、ファッショナブルで笑顔がかわいらしい方でした。それでいて、30歳前後でオリジナルブランドを立ち上げた実力者でもあります。ネイリストとフラワーデザイナーという2つの本業を50%+50%ではなく、100%×100%で乗算できるのは、学んだすべてを糧にしているからなのでしょう。
「その方の想いを読み取り満足していただいて、はじめて作品は完結します」と語るのは、アーティストではなくデザイナーだからこそ。ブライダルを自分にとっての第一のテーマとし、お客様1人ひとりの希望に合わせ、今日もまた唯一無二の作品を創り続けられています。

※この記事の情報はすべて、取材当時のものです。

だからフラワーデザイナーはやめられない!

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第一線で活躍するプロフェッショナルたちの生の声から、フラワーデザインの持つ無限の可能性と、それに魅了される理由が浮かび上がります。 花と共に歩む人生の豊かさと、そこから生まれる夢。フラワーデザインに興味を持つ全ての人々へのみちしるべとなるでしょう。

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